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投稿者: よし
投稿日: 2009年5月23日
古書には“平田山”として登場する山にも城が築城された跡があります。それが平田山城です。
「築城され、誰が城主だったのか」などの詳しい情報はわかりませんが、六角定頼が上坂景宗と対陣した時に平田山を中心に矢を射ち合う“矢戦”が行われた記録があります。
この矢戦がいつ頃行われたのかもハッキリしていませんが、六角定頼が当主になった永正15年(1518)から、ここで戦った磯野為員が山本山で戦死する天文元年(1532)までの14年間の内である事は間違いないのではないでしょうか?
元亀元年(1570)に織田信長が磯野為員の甥・磯野員昌が守る佐和山城を攻めた時には、水野信元(徳川家康の伯父)が平田山城に軍を置いて佐和山城を囲む一端を担ったという説もあります(別説もあり)。
そして慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの直後に行われた、徳川家康による佐和山城攻めでも平田山に家康が本陣を置き、家康はここから佐和山城が落城する様子を眺めました。その時の話は『影武者 徳川家康』というマンガにも登場しますね。
家康の佐和山城攻めの時には城としての機能がどれほど残っていたのかははっきりしませんが、重要な拠点だったと思われます。
現在、城跡は千鳥ヶ丘公園として整備されている所もありますが、山の中に入って行くと、土塁や曲輪の跡、そして石垣も残っています。この石垣がいつの時代の物かは判断できませんが興味が引かれる遺構の一つです。
場所: 雨壷山
カテゴリー: 歴史
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