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投稿者: よし
投稿日: 2009年5月28日
2009年5月28日は、肥田城水攻めが終わってちょうど450年の記念日です。永禄2年(1559)、それまで仕えていた六角義賢の元を去り、浅井長政へ仕える事となった高野瀬隆秀は宇曽川沿いの肥田城に立て籠もります。
これに怒った六角義賢は息子の義弼と1万5千の兵を率いて肥田城に向けて出兵、4月3日に肥田城を囲む形で幅12間(約23m)長さ58町(約6.3㎞)の堤防を築き、宇曽川と愛知川(当時は今よりも北に流れていた)から水を引き込んで水攻めにしたのです。しかし5月28日に豪雨によって堤防の2ヶ所が決壊し水攻めは失敗に終わるのです。寛政4年(1792)にまとめられた『近江小間攫』には“本朝(この国)水攻ノ最初ハ此時ナリ”と記されるように日本最初の水攻めとして戦国史に事績を残す攻城戦となったのです。
実際には日本最初の水攻めは文明15年(1483)の若江城水攻めまで遡ってしまいますが、それでも備中高松城水攻めよりは20年以上前の出来事として価値があるものだったのです。
この水攻めには一次資料がありませんので正式な記録としての内容はわかりませんが、様々な角度からみて高松城や忍城・竹ヶ鼻城などで行われた水攻めと比較しても、私たちが普段イメージするような物とは全く違う姿が浮かんでくる物だと考えられそうです。
中世平城の意義や、水攻めの本質を発見する上でも450年目の今年は、彦根を中心とする戦国検証に相応しい年でもありました。
場所: 肥田城跡
カテゴリー: 歴史
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